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チラシの裏

多方面にネタバレを含みます。

あっという間に師走に…。一年早いですね。

色々本読んだり映画みたり、たまにアニメ見たりとやってはいるんですが、中々ブログに落とし込めてなくてイカン…。
本とか映画とかは、後で何を見たか忘れるので管理アプリで記録付けてるんですが、そっちに感想書いたりしてしまうので、
中々ブログに反映できていないという状態で。
サイトもかなり放置気味になってしまっていけないな~と思うので、何かこうスッと更新できて続けやすいスタイルを考えたいです。
記録性を考えると、絶対ブログとかサイトに蓄積したほうがいいとはわかってはいるものの…ズボラでいかん…。

東山魁夷展に行きました。

先日は新国立美術館の東山魁夷展へ行ってきたんだけど、すごくよかった……。
正直この方の名前は今回初めて知ったんだけど、どの絵もとてもやさしく、かつ一抹の寂寥感があって、すごくよかった。

特に感動したのが唐招提寺の襖絵の制作エピソード。

唐招提寺の開祖鑑真は、渡来した時には盲目になってて日本の景色を見れなかったため、
彼が思い描いたであろう日本の風景に画家が思いをはせて描いたってエピソードにはじまり、
荒波で苦労したことを偲んで穏やかな海の絵と、
帰ることのできなかった鑑真のふるさと・中国の修行地の風景も取り入れて彼の魂を慰めようとした…という話。

画家のやさしさや思慮深さに感動して、思わず泣いてしまった…。

唐招提寺の襖絵がそのまま来ていたのも圧巻だった。
絵が来てるんじゃなくて、お寺の内装ごとそっくり再現されてるので、迫力がすごい!
前段のエピソードも相まって、食い入るように見てしまった。
お寺自体はしばらく改修で見られないので、今回はとても貴重な機会らしい。

日本人の絵でこんなにグッと来たのは初めて…。
図録も買ったけど、この人の絵は生で見ないと良さがでない気がしたので、
気になってる人いたら是非本物を見に行ってほしい~。

higashihara.png

映画のタイトルについて

8月は、映画を2本見に行きました。

「ヒトラーを欺いた黄色い星」
ナチスドイツ時代にベルリンに潜伏して生き残ったユダヤ人たちの生活を、インタビューと再現ドラマで構成した話。

「スターリンの葬送狂騒曲」
スターリン急逝後、残された政治家たちによる熾烈な権力争いを描いた話。

どちらもそれぞれに良い映画だったんだけども、原題と邦題で結構ニュアンスが結構違うのが興味深かった。

「ヒトラーを欺いた黄色い星」→「Die Unsichtbaren – Wir wollen leben」(訳:見えない人々-私たちは生きたい)?
「スターリンの葬送狂騒曲」→「The Death of Stalin」(訳:スターリンの死)

日本の市場ではこの邦題のほうがウケる!と思ってのネーミングなんだと思うけど、「ヒトラー~」のほうはヒトラー全く出てこないのにこの邦題はどうなんだwという気も…。
でも、原題のようなタイトルじゃ内容が全然想像できないから、直観的に興味を引くってことを考えたら正解なんだろうな…。

「スターリン~」のほうは、邦題だとちょっとコミカルすぎな感じで、結構冗談抜きでブラックな展開もあるのでギャップにびっくりした。
ただ、こっちはわりとギャップが面白かったから、個人的には好き。

「ベイマックス」見に行った時もハートウォーミング系かと思いきやがっつりバトルアクションで驚いたけど、
後で原題は「ビックヒーロー6」だと知って、なるほどね~~!!!ってなったけど、ああいう心地よい裏切り感があった。

商業的に考えれば観客をより多く動員できるタイトルが正解なんだろうけど、作品のニュアンスも殺してはいけない。
訳って難しいな~。

「ストーリーこそキング」 ピクサーの精神と、日本のアニメについて思うことなど。

日本のアニメに憧れる社員が語るピクサーの裏側【インタビュー】グラント・アレクサンダー
http://blog.btrax.com/jp/2016/10/26/pixar/


「ストーリーこそキング」というのがピクサーの精神という話。
アニメーションは、ストーリー・絵・音楽の総合芸術だけど、根本のストーリーがいまいちだと、どんなに優れた絵も音楽も魅力を失ってしまう。
特に彼らは「世界」を規模に仕事をしているから、脚本の細部にいろんな文化への配慮(忖度、とは違う)も感じる。
そういう多角的な視点は、色々なバックボーンのあるスタッフが共同でストーリーを作るところにあるんだろうな。
ここは日本のアニメーション現場と大きく違うところだと思う。

それにしても、ピクサーであればストーリー作りの文法のようなものがしっかりしてそうだから、よほど下手を打たなければ大丈夫な構造になってるのかと思っていたが、結構危機感を持っているというのは意外だった。
エンタメはやっぱり水モノなんだな。

日本のアニメーションは一人の“天才”に、ひっぱられて仕事をするから、作品作りの精神や技術がそこで途絶えがち。
日本最高のアニメーションスタジオであるスタジオジブリですら、結局有能な後継者は育てられず、アニメ制作からは一次撤退した過去があるし…。
(今は、結局宮崎駿が復帰したから作品作り続けているけれど、彼がいなくなったら、版権管理の会社になるのかなと思う。)

深夜アニメからも、クオリティの高い作品は生まれているけれど、結局オタク層が食いつぶしてしまっている感じがする。
戦後の焼け野原から、アニメーションを復活させてくれた先人の努力を思えば、こんな形で途絶えてほしくはないけれど…。
正直、文化として発展性があるのか?というと、かなり苦しいのでは?と思う。

どうにかならないかなあ。

意識はいつ生まれるのか

■意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論(ジュリオ・トノーニ / マルチェッロ・マッスィミーニ)

心を持ったロボットが生まれる可能性ってあんのか??という疑問に対して、「そもそも、思考とか意識ってなんなんだ?」ってとこを理解したほうがいいかなーと思って読んだ。
結果としては、まだまだ研究中から暫定的な答えだけど、こういうことじゃない?っていうのがまとめられてる本だったんですが、学術書じゃなくて一般向けな内容で、うまいこと例え話を入れながら語ってくれる形式だったので、すげー読みやすかった。
けど、まあ難しいことは難しかったので、多分3分の1ぐらいしか理解できてないっす。

以下、自分のためのメモ。

意識を生み出す基盤は、おびただしい数の異なる情報を区別できる、統合された存在である。
つまり、ある身体システムが情報を統合できるなら、そのシステムには意識がある。(126ページ)


・意識の発生と、ニューロンの発生には、因果関係はない。
その証拠に、ノンレム睡眠時でも、覚醒時と同じだけのニューロン活動量があり、昏睡・植物状態でも、脳の代謝が意識がある時と同レベルであることが分かっている。
小脳には総ニューロンの3/4(約800億個)が入っているが、小脳は意識の発生には寄与しない。
実際に、小脳を全摘した場合、歩き方(大股・ふらつき)や話し方(言葉を一音節ごと区切って話したり、爆発的に話出したりする)に変化が起こるが、
意識には影響はなく、手術前同様に思考の柔軟性・多様性・鮮明さは保たれる。
小脳が司る動きは無意識なものなのだ。

・意識はいつ、どこで生まれるのか?
φ理論(情報統合理論)に基づけば、意識は、脳内の情報量が最大レベルに高まった時に発生する。
その情報量は、脳のどこで処理されているのか?というと、それは視床-大脳皮質系である。

視床-皮質系の中核には、刺激に対する反応のレパートリーが潤沢につまっている。
「暗い(=闇)」という感覚を人間が考える時、脳の視床-皮質系では「闇ではないものすべて」の選択肢が提示されている。
その中から約百分の一秒の速さで、「暗い」という選択肢を選ぶ判断が下される。
このレパートリーは、視床-大脳皮質系さえあれば、ポンと獲得できるものではない。
朝、目が覚めると朦朧としていた意識が段々と輪郭を持ち覚醒に至るが、それと同じ道筋を経て、獲得し磨かれていくのが「意識」だと考えられる。
母親の胎内にいた時から続く朦朧とした意識が、外界に出て色々な状態を経験し、選別することで、意識は成長していく。
意識のレパートリーが最も蓄積されるのは幼少期だが、大人であってもそれを成長させることはできる。
例えば、ワインを飲むとき、最初は赤と白の違いがぼんやりわかる程度でも、経験(選択)を積むことで、どこのワイナリーで作られたもので醸造年がいつかも判断できるようになる、といったように。

・メモ
全身麻酔手術をした患者のうち千人に一人は手術中に一時的に覚醒してしまう。
手術中に筋肉の反射を防ぐため鎮痛剤も打ってるから痛覚はなく体も動かせないが、体を開かれている感覚はあるのでトラウマでPTSDになったりするらしい。怖い。

大脳皮質のニューロンに電気的な刺激を与えれば、実際に見る聞くなどの感覚器官の協力がなくても、目を閉じて情景を思い浮かべたり、夢を見ることができる。